アラフィフ女の呟きブログ「cafe_6」

不惑を過ぎても、迷い惑い続ける毎日なのでございます。

アラームの恐怖

特別お題「おもいでのケータイ」

それは随分と前のこと。私も若くてお肌がぴちぴちだった。

 

地元へ「フジ子・ヘミング」がやってくるというので大騒ぎしてチケットを買った。

契約社員から正社員になったその頃の私は人目もはばからず、仕事に夢中。その日も仕事が遅くなってぎりぎりセーフで会場へ駆け込んだ。

夫が息子の「ご飯もお風呂も任せておけ」というので、それに甘えての久しぶりのコンサート。ひとりはさみしいけれど、このチャンスを逃したくなかった。

仕事道具が詰め込まれたカバンの中の、真新しい携帯電話の電源を切り、私は日頃のあんなストレスやこんなストレスやらを忘れて、ピアノの音色に聞き惚れた。 なんというか、フジ子・ヘミングの演奏には「慈愛」を感じるのである。

 

私もいろいろあって頑張ってきてここに居るの。だからあなたも頑張りなさいね。イヤなことがあってもツライことがあっても、自分も他人も許しなさい。

 

そういわれているような気がするのだ。まったくの妄想ですけどね。

私は難しいことはわからないけれど、私自身が「音楽にメッセージを感じる」ものが好きだ。

好きなものが好きだと思えて、チケットを買ってこの場所に居られるという幸せをかみしめていた。

小さな子供がいると、外出もままならない。チケットだって決して安くない。

私は忘れようとしていた日常をちらっと思い出した。いつもなら、そろそろ子どもをお風呂に入れる時間だ。

そう思ったとたん、私は思い出した。

新しい携帯電話。7時30分にアラームが鳴る。

この携帯電話は、電源を切っていても設定していた時間になると自動的に電源が入ってアラームが鳴る。

いつまでもテレビから離れない子供に「テレビタイム終了」の合図として使っているアラームである。会議中に電源を切っていて、そのままにしていたらお風呂タイムにアラームが鳴った。

その時は「へぇ、すごい。電源切っていても鳴るんだ」と思っただけだったが、どえらい迷惑な機能ではないか。

あのアラームの機械音がピアノのクラシックコンサートの会場で鳴り出したら。

私は頭が真っ白になった。会場の時計は7時20分。曲は始まったばかり。立ち上がってこの場から逃げ出そうか。このタイミングで立ち上がる、それもなかなか難しいことだった。

だけど、アラームが鳴りだすよりいいんじゃないのか。 もう、音楽なんて耳に入ってこない。 立ち上がって出ていくか。それともほかに何か方法がないだろうか。絶体絶命だわ、どうしよう。

手汗もすごく、胸がドキドキする音が聞こえてきて、倒れそうだった。隣の人はそわそわする私に何かを感じたのか、不審そうな目でこっちをちらっと見た。

掌の中の携帯電話が、私のハートを刺し貫く凶器になっている。 この恐怖をいかに乗り越えるべきか。もう時間がない。曲の途中だけど立ち上がろう。

そう思った瞬間、私はひらめいた。

そうだ。電源を外そう。 さすがにすでに電源を切っている携帯電話が自動的に電源がオンになってアラームが鳴るとしても、電源を外せば鳴ることはないだろう。

暗がりの中で、私は携帯電話の電源を外そうとした。が、新しい携帯電話である。一度も電源なんて外したことがない。手間取る間に、時間は過ぎる。ドキドキは最高潮である。そしてやっと。

ぽろっと電源が外れた時の安堵感は忘れることができない。 アラームは鳴らず、7時半が過ぎた。やっと曲も終わって拍手が巻き起こった。私も掌が腫れ上がるほどに熱烈な拍手をした。フジ子・ヘミングの素晴らしい演奏に。そして、アラームが鳴るのを阻止した自分自身に。

 

ラストの「ラ・カンパネラ」は感動ものだった。

 

言ったでしょ、人生いろいろあるって。何とかなるでしょう。

自分で何とかするものなのよ。

ひとつの出来事が呼応してメロディが「音楽」になるのよ。

呼び合うように生きなさい。呼びかけられたら応えなさい。

愛しなさい、許しなさい。人生は素晴らしいわよ。

 

私にはそう聞こえた。ええ、妄想ですとも。

曲の中で繰り返される「鐘の音」が、今でも私の心の中で鳴り続けている。音楽って素晴らしい。

 

コンサートが終わると、花束が贈られた。

大きな花束を持った人もたくさんいた。

小さな女の子が小さな花束をもって舞台に近づいたが、恥ずかしがって途中でしり込みをしていた。彼女はしゃがんで、女の子が歩み寄るのを待ち、その花束を受け取った。そして、その小さな花束をピアノの上に置き、アンコールの曲を弾いた。

 

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私はアルバムを買い、大急ぎで自宅へ戻った。

眠らずに待っていた息子が私の首に抱き着き、「ママ、おかえり。」と言った。柔らかく温かい息子の体をぎゅっと抱きしめて、「ただいま」と言った。

私にとって、彼と過ごす時間も音楽だと思った。

 

その息子も高校生となり、昨日、修学旅行から帰ってきた。「おかえり」と言ったのは私だ。彼の手のひらには小さなiphone。親の顔をちらっと見た後、彼の視線はずっとその小さな機械に奪われている。親の知らない世界がそこにある。

 

その世界が素晴らしいものでありますように。と願うばかりだ。

 

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