1日2回ブログをアップする☆あおくまブログ

不惑を過ぎても、迷い惑い続ける日々でございます。

LALALANDを観て。

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

映画って、いいね。

★★★★

 

久しぶりに映画を観た。社員優待で安いチケットが買えるから、「映画へ行こう」という気持ちになった。なんともお恥ずかしい。私は決して映画通なんかじゃないので、念のため。

 

若い頃も映画は素晴らしいと思っていたけれど、アラフィフになって改めて思うのは、映画には「リアルな思い出を蘇らせる魔法」がある、それが素晴らしい。

ミア役のエマ・ストーンは姿も声もとってもキュート。歌声も切なくていい。イケメン俳優を大きな画面で堪能できるのもいい。自宅でHulu観るのもいいけど、映画はやっぱり映画館で観るのがいい!と実感した。

 

朝9:45分の上映を観たのだけれど、結構な入りだった。例えば、この映画の冒頭のシーンはいかにもミュージカルらしい。私は初めて自分でチケットを買って見た映画「フットルース」を思い出した。懐かしい。高速道路の向こうまで、ずっと繰り広げられるダンスシーンは印象的だった。

 


映画「ラ・ラ・ランド」オリジナルmusicPV

 

 

向こうの果てで踊る人の人生についてつい考えてしまうのは、年をとったせいなのかしらね。卵たち、頑張れ。と応援したい気持ちになる。

 

そして、蘇った思い出のフットルース。また観たくなったりして。

フットルース [Blu-ray]


Footloose Final Dance 1984 to 2011

 

記憶の奥深くに眠っていたものが目覚める。それはこのシーンだけではなかった。

 

小高い丘から見下ろす夜景

これによく似た風景が私の心の中にもある。大分市明野から下郡へ降りる坂道。

この夜景が好きで、私はこの道を帰ることがしばしばあった。

疲れ果てていたり、仕事がうまくいって興奮冷めやらずだったり。恋愛がらみのストーリーがあったとしても、秘密は公表しない主義だから、内緒だけど。

 

誰にでもある、過去のきらめきが蘇る魔法が詰め込まれている映画が好き。

この映画には、そんな魔法がたくさんちりばめられていた。

 

意見の違う友達

人によって感じ方が違うことは承知している。この映画を観た感想も、意見の違う友達のものはなかなか「面白い」と思った。

彼女はこの映画に大いに不満だったという。

 

「だって、ミュージカルでしょ。お決まりのハッピーエンドじゃなくて期待外れだった。お金返してって言いたくなったわ」

 

そーなのか。私は驚いた。彼女は主人公の二人が結ばれてハッピーエンドになることを期待していたと言うのだ。

私はセンチメンタルな気分を心地よく味わった訳なのだけど、彼女にはどうにも満足いかない終わり方だったらしい。

 

総じて「若いって素晴らしい」という感想ではあるけれども、(耳に心地よい音楽と「人生」の選択について思いを馳せる時間を楽しめた)いい映画だった。

 

LA LA LANDのタイトルの意味

教養のない私は、タイトルの意味がさっぱりと分からなかった。

La La Landにはいくつかの意味があると言う記事を見つけた。賢い若者のブログは深いね。素晴らしい。

 

① 我を忘れた状態、恍惚 ② 現実離れした世界、おとぎの国 ③ ハリウッド、ロサンゼルスのこと

【映画『LA LA LAND』感想】 ~「ララランド」の意味を知っているか~ - 如月トキヤの、世界に報いるニートの叫び

 ははーん。そういうことなのね。納得!やはり「知る」ということは大切だ。というか、「知らない」って、もったいないよね。

 

www.spedarrow.com

 

 

人生は思い通りにはならない

当然のことだけど、私にもあきらめた夢がある。人生は思い通りにはならない。現実と折り合いをつけなければならない。努力すれば必ず結果が出るとは限らないし、才能があってもチャンスに恵まれないことだってある。

 

それは「あきらめなければ」叶う夢だったのか。

あきらめないことは素晴らしいことなのか。それは誰にもわからない。

 

私たちは前に進むことしか出来ない。道はひとつしか選べない。それが人生。

 

それでも私たちには未来がある

アラフィフ女にだって、未来はある。人生100年だとすれば折り返し地点。

これから恋するかどうかは分からないけれど(たぶん)私はパートナーに感謝をしつつともに歩いて行きたい。今この時に「感謝」「満足」して微笑みたい。橋のシーンで踊っていた老夫婦のように。

 

変えることが出来るのは「未来」と「自分」だけ。いくつになっても未来はある。それは本当に素晴らしいこと。

 

映画のラストに、走馬燈のようにもう一つの人生が映像化されるシーンがあるのだけれど、個人的にあれは切なかった。願望?妄想?それはひとりだけのもの?それともふたりの心に同じように存在する「もう一つの人生」なのか。

 

その意味をもう少し深く感じたくて、私はこの映画をもう一度観たいと思っている。