アラフィフ女のツブヤキ

猫はかぶっていませんが「熊」を被って生きてます。

「パッセンジャー」を観て(ネタバレあるかも)

ちょっと物足りなかったかなぁ。。。

★★★

 

いい映画だった。

 


映画 『パッセンジャー』 予告

が、少し物足りないと感じてしまった。

それはなぜかというと。

若者ならば、この描き方でよいと思うの。この特殊なシチュエーションでふたりの関係が「出会い」「ためらい」「求め合い」「ぶつかり合い」「離れても」「求め合う」という展開の後に、「選択する」というそれだけで、素晴らしい映画になる。

 

が。

 

アラフィフになると、もうちょっと「欲しい」の。

もうひとりの「目覚めた乗客」であるガスの扱いも雑に感じられて。ふたりの若者を「導く」大人の存在は、もっと大きく描いて欲しかった。

そして。

「その後のストーリー」が欲しかった。

ちょっと辛口?かもしれないけれど、この描き方だとまるで「アラジン」みたいな。逆境から「僕を信じて」と手をさしのべて、実は王子じゃないと分かってそれでもふたりは求め合い、結ばれる。みたいな、定番ストーリーに見えてしまう。

 

ラストのシーンから、ジムとオーロラふたりのその後の人生が豊かなものであったことが想像できる。

しかしながら、たった「ふたりだけ」で豊かな人生を送るためにどれだけの努力を必要としたことだろうか。

いくらアーサー(アンドロイド)がいるとしても。

それを想像すると、そこにこそ「ファンタジー」が存在するように思えてならないのは気のせいだろうか。

 

共に生きる人を「愛しいと感じる瞬間」

人は完璧じゃない。いや、欠点だらけだ。それでも、私たちは愛し合い許し合い譲り合いながら、ともに生きていく。

他人が存在するからこそ、「ふたり」で居ることの幸せがあるともいえる。

 

時には「ひとりになりたい」こともあるけれど、究極的に考えれば「たったひとりである」ことはなんと恐ろしいことだろう。

ぶつかり合ってもけんかをしても(けんかなんてしたくないけど)共に生きる人がいると言うことは幸せだ。

 

それらの人々とよい関係を保てるように生きることこそが「現代のファンタジー」なのかもしれない。孤立した状態は決して「豊かの人生」ではあり得ないような気がする。それなのに、ジムとオーロラは映画の中で幸せな人生を送ったであろうと想像させられる。

 

そう考えると、この映画は素晴らしい映画であったのかもしれない。その後の人生は描かれなくて、正解だったのかも。。。