1日2回ブログをアップする☆あおくまブログ

不惑を過ぎても、迷い惑い続ける日々でございます。

アラフィフ女の未来への選択

女の一生は確かにイロイロ

女性は、男性に比べて人生の選択肢が多い。

結婚する、しない。

子供を産む、産まない。

仕事を辞める、続ける。

その選択肢には、自らの思いや願いだけではなく、家族や環境や時代によって、流されるように決めざるを得ないことも、ある。

夫の突然の転勤や、家族の病気、互いの両親や兄弟の経済的、あるいは健康上のトラブルなど、避けて通れない出来事が突然やってくることも、珍しいことではない。

そのような出来事が起きた時、仕事を犠牲にしても家族の世話をするのは、女性であることが多い。世の中もそれを求めるし、本人もそれが役割だと感じることが多い。それを「やらない」と宣言することができる女性は、ごく少数だろう。

 

さて、私の場合・・・

30代半ば~40代後半まで

夫の転勤で慣れた仕事を辞めて新しい仕事を探すことに虚しさを感じ。しっかりとしたキャリアライフを築こう(最低賃金で働くのはやめよう)と決めて仕事を探したが、息子が3歳ごろ、ぜんそくで入院や通院などが多かったため、出勤時間などの制限が少ない保険の営業の外部委託をはじめ、懸命に仕事をした。

頑張りが認められて正社員になり、積極的に資格取得などに務めた。

最近ではTVCMなどでもお馴染みになった整理収納アドバイザー1級を取得してコンペティション全国大会へ出たりしたのは懐かしい思い出だ。一緒に受賞した方はテレビで活躍したりしているのを観たりすると、自分は何をやっているんだろう、と・・。

ファイナンシャルプランナー(AFP)も取得した。一発合格できたのは密かに私の自信になった。

息子が中学2年生になり、私は40代後半で、また夫の転勤で正社員の仕事を辞めることになり、私自身の年収は数百万単位で激減。

40代後半~51歳現在

現在は同じ保険業界だけれど、時給で働くパート社員である。再就職は正直大変だった。

転勤する男性と違って、転職の場合は階段の一番下からやり直しになることが多い。年齢が高くなるとそれだけで再就職は難しくなる。書類選考で落ちて返送されてくる履歴書を受け取るのはつらいものである。運良く就職できても、若い時とは違う困難が待っている。

 

私は、どうしても家族と一緒に暮らしたかった。夫を単身赴任させたくなかった。

もしも単身赴任をしていたら、今頃違う問題と向き合う羽目になっていたかもしれない、と考えると、やはり一緒に来てよかったと思う反面、はやり後悔の気持ちを捨て去ることができない。

望まない人生の転機が続く。

実は、最近、我が家の夫はがんに罹患した。一生涯、高額な抗がん剤を飲み続けることになる、そんなタイプのがんに罹患したのだ。

加入していたがん保険で5年間は治療費にあまり困ることはないと思うが、夫の収入が減る可能性は大いに有り得る。

5年経過後は入院治療がない限り、がん保険からは給付を受けることは出来ない。5年後からはどうなるのだろう。かなり高い確率で治療費負担の増大+収入減なりそうだ。健康保険制度は今後、どうなるだろう。

病気が進行したり、投薬の副作用から他のトラブルが起きることもあると聞く。持病のある夫は、最初から「特別な配慮が必要な患者」として対応していただいているので、妻としては大きな不安を抱いている。

介護とまではいかなくても、家族の介助が必要になったらどうなるのだろう。必ず出勤して店舗に居る必要がある、現在の私の仕事は続けることが出来なくなるかもしれない。

これから息子の大学進学を控え、さらに治療費の負担で貯蓄が減る一方の私たちは、日々の暮らしに困窮する可能性だって出てくる。こんな恐怖のストーリーが私の人生で起こる可能性が「高まった」のだ。私の頭の中で鳴り響くのは、注意報ではなく、警報だ。

 

切りつめれば、と言っても、生活のレベルを下げるのは言うほど簡単ではない。

私は一度、自分自身の収入減によって生活のレベルを下げた。これも結構なストレスだった。

私自身の収入減の場合には、その影響は私だけで受け止められるが、夫の収入が減るとなれば、それは家族の問題になる。

短期で考えれば息子の学生生活に、中期で考えれば老後資金の貯蓄計画に、長期で考えれば老後ライフに、それは大きな影響を与える。

ファイナンシャルプランナーで現役の保険募集人である私は、現在の状況からライフプランを立て直そうとすると、大きな努力と犠牲が必要になることが容易に想像できる。私のような、へなちょこアラフィフ女に背負いきれるだろうか。

 

とある「言葉」に勇気づけられる。

そんな重苦しい気持ちを抱えた日々だが、今日は息子の高校三年の三者面談の日だった。

私は久しぶりに、お気に入りのタイトスカートにネイビーのジャケットを羽織り、息子の高校へと向かった。鏡の前で気分が高揚した。普段着ている事務員然としたシャツとスカートは私に似合っていないのだ、と実感した。

息子と二人、前の面談が終わるのを教室の前で待っていると、息子のクラスメイトの女子が二人やって来て、こんにちは、と挨拶をしてくれたのでにっこりと挨拶を返すと、「めっちゃきれいー!きれいー!」と二人は息子に、きれいなおかあさんなんだねー!と話しかけて来た。

息子は「この人、51歳よ!」と年齢をバラしてしまい、「うそー!えー?絶対見えない!若い!」を二人は連発。

 

自分で言うは憚られるけれど、若い頃はきれいだとか美人だとか言われたことはあった(もちろん、かなりお世辞スパイスが効いている)けれど、最近ではトンと聞かなくなったワードである。

だから、お恥ずかしながら、そう言われた私はとても嬉しかった。(おバカですね)

 

そして、その帰り道、息子の部活の顧問の先生がふたり、おしゃべりしているところを通ったので、こんにちは、と声をかけて通り過ぎた。

そのあとを息子が追いかけて来て、「今、また先生から”きれいなお母さん”って言われたから、母は51歳で顔はシワシワでお腹はブヨブヨですって教えておいた」などと言う。

今日はなんて日だ、みんな急に眼が悪くなったんじゃないかと、息子がブツブツ。

 

思わず私は笑ってしまった。

今日はなぜ、「キレイコール」をたくさんもらったのだろう。そうだ。今日は着ているものが違うのだ。

私がかつて戦闘服として選んだ洋服は、普段着ている事務員然としたものよりもずっと私を私らしく見せてくれたのだろうと思う。

人生で二度目の本気の決断

日頃、優柔不断で迷いや不安に振り回されがちな私。それについてよく夫に笑われるのだけれど、私は決めた。

もう、後ろを向くのをやめよう。後悔も捨てよう。

いいじゃないか、51歳でも。また資格を取ったり勉強したりして前を向いて進んでいこう。

38歳の私も、当時、自分を若くないと思っていた。何かを始めるにはもう遅い、と思っていた。でも、ちっとも遅くなかった。遅くなかったと気がついたのは、何かを始めた後、だった。

 取得可能な資格に挑戦しよう。

今までもトライしようと思ってはいたけれど、それはハードルの高い試験(CFP)で、勉強を始めても試験を受けるところまで行きつかなかった。現状維持でもいいじゃないか、という気持ちが心の中にあったのだ。

自分自身に達成感と自信を取り戻すために、成功体験が必要。

そして、ブログも書こう。

最近ではすっかり文章を書くことから離れてしまって、何をどう書いたらいいのかわからないこともしばしば。こんなまとまりのない文章をだらだらと書いてしまっている。これも勉強しよう。

年齢のハードルは確かに存在するけれど、でも、何も出来ないわけじゃない。

 

他人から良い評価されることは、嬉しい。チャレンジすることから始めよう。そして、私はそのチャレンジから生まれるパワーで不安を解消していけるはずだ、きっと。

失敗したら、年齢のせいにして、また新たにチャレンジすればいい。

でも、チャレンジしない理由を年齢のせいにするのは、それはちょっと、格好悪い。

そして、やっぱり自分らしい「私」でいるために、きれいでいることは大切なことだ。

何よりも、私自身が鏡を見て気分がいい。

私の人生の歩き方

イロイロある女の人生、イロイロの種類は違ってもみんなイロイロ抱えて生きているのだ。対処法もイロイロだろう。

運動靴に履き替えて生きるのも一つ法方法だと思うが、私はヒールで闊歩したい。

人生の先が見えないのは誰でも同じ。でも私には「軌道修正するための知識」がある、はずだ。いやちょっとまだ知識不足かな。だから、学ぼう。進もう。前へ。

ストレスを感じたら、発散すればいい。その時は歌おう。映画を見て泣こう。

人生のパートナーの「そうなってから、考えればいい」というおおらかな心を信じよう。過剰な心配性である私にぴったりの夫だ。私を笑顔にしてくれる、彼を信じて、生きていこう。

 

それが、私の人生の選択。